「まじめの罠」に陥った自分

通勤中に電車の中で読書していることも多いが、この本が気になって読書中だ。

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勝間和代が「カツマー」に持ち上げられ、アンチに叩かれる。この経験から見出したのが、素直で従順な人たちが絶対無謬の「お上」からすべての目的を与えられ、その中で暮らす構図が生む「まじめの罠」の存在。

日本社会全体が、何かに対してまじめに努力した結果、自分や社会を悪い方向に導いてしまうリスク=「まじめの罠」にハマっていると指摘し、それに対する処方箋を示している。

成功者を「ズルしているに違いない」と攻撃

私は「勝間和代を嫌う人たち」のプロファイリングをだいぶしてきましたが、その過程でとても興味深い事実を見つけています。それは、私を嫌う人の典型的なパターンの一つが、「まじめに仕事をしているわりには成果が出ていない人」という事実です。

より具体的には、高学歴にもかかわらず高収入を得ていないとか、頑張っているにもかかわらずつまらない仕事しか与えられていないような人たちです。それは男性でも女性でも同じです。彼らにしてみれば、

「勝間和代はまじめに見えない。自分たちのような努力もしていないように目に映る。それでも成果を出しているというのは、何かズルをしているに違いない」

と考えるわけです。

あるいは、「勝間和代という存在自体」が、自分たちの価値やアイデンティティを崩壊させるので許せないと考えるわけです。こういう人たちが一定数の割合で存在するので、まじめの価値を再考しようとしている本書も評判が悪くなる可能性は高いと思っています。

まじめの罠にハマっている人たちは、本当は意味がないかもしれないルーティンワークをつまらないとも思わず、コツコツと長時間それに耐えることが美徳と考えています。

こういう人たちは、小さい頃から何に対しても我慢し続けてきて、小・中学校などでもいい成績を取り、いい学校にも入れて、名のある企業に就職することができて、結婚して、子どもがいて、郊外に一軒家を30年ローンで買って、1時間、あるいは2時間かけてせっせと会社に通勤して……といったような人生を歩んでいます。

さて、こういった人生は、本当に幸せな人生なのでしょうか?

(勝間和代著 「まじめの罠」光文社新書、29頁~30頁)

勝間氏は「まじめの罠」にハマった人は、常に被害者意識を持ち、まわりに攻撃的になり、他者を差別して満たされようとするので、自分の人生に満足できないという。そして、「失敗をおそれるな」「問題設定そのものを疑え」「正しい自己認識を持て」など、罠を脱け出す6つの処方箋を示している。

変わって職場で思い当たる事。

新システム導入から2週間経過。直近の1週間分の受注累計、個人別の数値のデータが公表される。

つまり、

当然自分がダントツの成果だと思っていた。

今まで「マジメ」に取り組んできた自負からだ。

しかし結果は衝撃的なものに。自分は中の中。ほぼ平均値。ウラがあって、その他の業務(電話受けではなく、予約画面や折り返しの管理等)を行なっていたため電話数が激減していた。

見た目の数字では反映されないもどかしいものだ。

そして意に反しダントツのトップは、予想外の全く電話を取らない人間が群を抜いてのトップ。社内では波紋を呼ぶ結果だ。下手したら現場を見ない上層部は前後背景を抜いてこの結果を賞賛するに違いない。なぜあの御仁がダントツかは理由は明白だが、突っ込むと自分が卑屈で情けない人間に思えるのであえて言わない。

そんな心理状態でこの本を読むと、身にしみるのだ。

あの人はあの人。自分は自分。今なぜ自分は仕事でこの業務をしているか?違う仕事をしているのだ。現場を見ない上層部は、あの御仁が何であれ電話を取る本数が増えたのは改善、向上だと思うだろう。それはトータルで考えてプラスと見れば良い。

だからこそ「正しい自己認識」を持つことが、自分に必要と痛感してしまった。自分に必要なのは絶対的な価値基準。ぶれないモノサシだ。

前を向いて歩こう。

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